Ladybug Learning Projectの考えること

これまで、多くの素晴らしい講座を受けて参りました。Reggio Emiliaを始め海外から来日した教育者、海外の実践、日本の話題の保育園・幼稚園、赤ちゃん研究の研究発表会、室内環境、園庭や教具に関する説明会やレクチャー、演劇に関するものなど挙げればきりがありません。

私自身も何故こんなにも意欲的なのかハッキリとしておりませんが、もしかしたら単純に子ども達が生まれた時から持ち合わせている個性やアイディアは大変柔軟で、独創的で、言葉では表せないほど素晴らしいからでしょう。

持ち合わせて生まれたそれらの個性は、我々大人のアプローチで、保ち続けられるかどうか問われます。それが「子どもたちの100の言葉」で表されているものです。

世界中で或いは日本だけで見ても、生活様式は多様ですから、 アプローチの仕方は様々あると思いますが、重要なことはどんな部屋で、どんな教具を使うかではない、と私は考えています。

それは先んじて実践を繰り返しているReggio Emiliaの発展をみると垣間見ることができます。

例えば、10から20年前は教室にライトテーブルやOHPを教具として使っていました。この時は「見えないものを見る力」というキーワードだったのに対し、現在、現地で活躍中のPanta Reiのレクチャーでは、プロジェクター、コンピューター、カメラなどの電子機器を積極的に用いて探求活動をすすめ、この時は「実存する物体と、デジタルの中にある実存しない物体の間を行ったり来たりする感覚」と話されていました。

これは「見えないものを見て」と言われているのに近いものがあり、恐らく目指している点は似ているのかなと感じたのですが、使うものが変われば、表現も変わり、引き出される活動も変化することを実体験しました。

生活様式・文化の変化は表現を変えます。

それがことばになり、ことばは大義で活用され、さらに文化として強固なものになる。


しかし、日本では1と言ったら答えは1。

ダメと言ったらダメ。

と断言される物事がとても多く、我々親世代も正解してこそ良し!と考えてしまう節があるように感じます。大人は子どもに対し、もっと多角的にものごとを見て、考えねばならないと思うのです。子どもにも権利がある。彼らは有能で、我々に深い学びと新しい気づきをもたらす存在です。

また、もう一方で保護者の権利も考えていく必要がある、と考えております。

例えば、ベビーカー。

何故、年々軽量化がすすむのでしょうか。

裏を返せば、手が空いている人が手伝えない現状があるからではないでしょうか。

広告でも保護者が赤ちゃんを抱っこして片手にベビーカー、肩にはバッグを掛けています。

現代では家電も進化していますから、指一本で料理が出来、赤ちゃん用の調乳もキューブ1つに対して予め調温された規定量 のぬるま湯で溶くだけです。洗濯も指一本で綺麗になり、乾きます。トイレもお風呂も手掃除なしでしばらくOKな機能までついています。

では、何故こんなにも子育てがし難いとされるのでしょうか。

核家族化がすすみ、日中は1人で子育て、料理も洗濯も1人で完了させることを目指し、子どもにどうやって対峙すれば良いか1人で悩み・・保護者の悩みは挙げればキリがないでしょう。

答えのない問題は我々世代が一番不得意とするものなのかもしれませんが、現代は1人で子育てをするベースがあることが大きな問題となっていることは容易に考えられます。

子どもだけが幸せであれば良いとは思えません。

保護者が誰かに頼りたい時に頼れ、些細なことを話して共感でき、どの様な環境が生きやすくなるのかを、一緒に考えたり話したりする場が必要だと考えております。

保護者の幸せは子どもの幸せです。

少子化は必然でした。今から止めることは難しいと思いますが、今ここにある子ども達の素晴らしい個性は是非、この日本で輝かせる必要があります。

子どもの今この瞬間の興味の対象に、彼らのアイディアを抽出、保護者や地域へ発信して、「私の子どもが地域の子ども」という状態を実現したくLadybug Learning Projectは考えております。

名前の由来:赤と黒は情熱と自立の象徴と考えました。

バイリンガルクラスが主流な理由:外国語を知ることはそれらの国の文化的な背景を知る大きな手掛かりとなります。ことばの違いや使い方の違いは自由な発想がより助長されると考えています。また、今後日本も多民族・多文化国家となり得ますし、子ども達が海外へ飛び出して活躍することもあるでしょう。彼らに多文化を受け入れた過去があることは大変、意義があることと考えているからです。

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