幼児期における身体表現の必要性...1

2018年10月12日

タイトルの通りに検索してHitした方には落胆させるかもしれませんが、個人的にも明確に「以下の理由でどんどん導入した方が良い!」といった答えには辿り着いておりません。

しかし新たな表現活動の1つとして小学校の必修科目にダンスが取り入れられたのは大きなヒントになるのではないでしょうか。本来でしたら演劇を必修にしてほしい所ですが、研修などの時間や予算を考えると現実的ではないのでしょう。

身体表現と一言で申し上げても種類は様々です。

ダンス、演劇(ごっこ遊び)、ヨガなど。

これらの表現活動の導入はまず、自分がやることに対してどんな気持ちであるか、自分と向き合ってその気持ちを認めることから始まります。疲れているのか、気分が良いのか、むしゃくしゃしているのか。それを認めるだけでもこれらの表現活動は大きな一歩を踏み出していると思います。茂木健一郎さんはマインドフルネスについてわかり易く解説しておりますが、静かに自己と向き合うと、相手を容認する準備も整うと説明されております。(話しを要約していますし、主観があるので捉え方には個人差があると思いますが。)現代は時間の流れが早く、その日の自分の気分に向き合う事すらできない状態で、「他人に思いやりを。」と言われる風潮にある気がいたします。

それは正直、無理な話しです。

我々は生き物ですから毎日人が違って当然であり、先ずはそれを自分自身で認めてあげることが重要です。

その次にようやく近い人を認めることが出来る、近い人からコミュニティーとその周辺環境へと範囲が広がると考えます。

身体表現は、自分と向き合って徐々に向き合うべき対象が広がる、そのトレーニングができる手段であると考えております。

これが第一の理由でありますが、「そもそも」と言ったところでは、「驚くべき学びの世界」ワタリウム美術館の「身体は語る」の章では5歳の子が「考えたことは脳の中にあり、それを顔、足などで耳に届けなければならない」と表現しています。

この章では「身体を動かすことと考えることを分けていない」と示している通り、身体表現と言うのは、自己と向き合い、相手を認め、コミュニティーやその周辺環境を認めていく…という手段とは全く別の立ち位置に居る、表現手段の1つであることも考えられるのです。

表現手段の1つである!と確かに認め、その表現活動を市民文化祭としてReggionarraは確立されていると考えておりますが、このお祭りにおいても身体表現の重要性やその目的などを明確に記したものを見付けることは非常に難しいです。

むしろ身体表現は表現活動の1つとして認めることがこんなにも困難であるべきでない筈なのかもしれません。

ヒトとして生まれた人としての当然の営みと考えるのが自然なことであると考えられます。