レッジョアプローチは、教育メソッドではありません

レッジョエミリア・アプローチと呼ばれるものは、子どもに対する教育法の1つとして捉えることが出来ません。

レッジョ・アプローチのルーツは、地域への協力と貢献という考え方で、「まちをより良くしよう」というのが根本の考え方としてあります。

ですから、レッジョの園は園外へ出て活動するプロジェクトが主体なのです。

現在の子育て問題

世界的に難問だとされているのが、共働き世帯の増加による地域貢献の希薄化。

或いは子ども達の通う園やプレスクールの質の差。地域の文化格差などです。

しかしレッジョエミリア市では「教育は子ども、保護者、市の財産である」という考え方が基板にあるため、保護者の働く権利を守りつつ、市民が統合する場を提供して地域の繋がりを絶たないシステムづくりをしているのです。また、定期的に持たれる園と保護者との話し合いでは両者のライフスタイルに関する話し合いをする時間も持たれます。

従って、レッジョ・アプローチと呼ばれるものは文化と共に変化するため、完成形はありません。

アクティブラーニング

園での活動は、今でこそよく耳にするアクティブラーニングが中心です。

予め計画をしておくのではなく、子どもが表現することや、保育者とのやり取りからヒントを得て活動テーマが決まります。

レッジョアプローチにおいて、子どもは博士で保育者は博士から学ぶ生徒なのです。

子ども達は自分達で仮説を立て、理論を立てます。これが新しい概念であり、難しい内容に関しては隠喩が多く認められます。更に保育者はこの理論に対して真剣に疑い、更なる仮説を立てるように促すわけです。ここでは表現力や想像力が養われます。

この一連の活動は、日本の2020年の新大学入試制度で試される、複数教科で学んだ知識を統合して活用できるか問われる問題に対して有効であることが期待されます。

なぜ芸術教育

発祥がイタリアであることも手伝い、芸術教育にも通ずる要素があります。

芸術教育に対して敏感であったアメリカが早い段階でレッジョ・アプローチを導入し、特にGoogleやDisneyなどの社内保育園で取り入れられていることは有名です。

日本ではあまり芸術教育に対してその重要性を問われてきませんでしたが、現代はルールを制定する前にシステムが先行してあっという間に一般化する流れが増えています。

現代にこそ我々の美観が問われると言われています。美観とは、「人として生きる上で心地いいかどうか」を問う力です。

今後は日本も多文化国家へと移行することでしょう。多民族国へ出てゆき暮らすこともあるかもしれません。そうなると「日本のルールはこうだった」というわけにはいきません。

日本もなるべく早く、他国と同様に芸術教育に力を入れる必要があるでしょう。

戦後直後の日本でも「平和を守るためには、芸術心の欠如の克服が必要」と論議されることが有ったのですが、園や学校での芸術教育に対する姿勢はいまだに変わらず、残念でなりません。

Chigasaki Kodomo Cinemaでは見守り隊のお手伝いを通して、また前職(県内一部モンテッソーリメソッド導入のインターナショナルスクール)において子育て中の保護者の話しを伺うと、自分が住むまちを誇りに思い、子どもにもこのまちの良さを感じて欲しいと話します。

地域の大人が皆、子どもを「未来から来た人」という目線で見守り、彼らの文化や新しい概念を認めることが出来れば、子ども達は我々のまちに愛着を持つことになるでしょう。

まちに愛着を持ち、まちをより良く変えていける力が我々市民にはあると確信しております。

私が子ども達に対して常に念頭に浮かぶことは、1つ。

子どもは皆、才能に溢れ、素晴らしい!」ということです。